梅田が「梅田」に変わったわけ
梅田は再開発が行われてどんどん変わってゆきます。ここで梅田のルーツも捉えておきましょう。
突然ですが皆さんにはご存知でしょうか。
なぜ梅田は梅田と書くのでしょう?
その理由は諸説ありますが、その中のひとつをご紹介します。
江戸時代より前、梅田は下原と呼ばれる低湿地帯でした。
大きな淀川が流れる湿地帯を埋め立て田畑を開拓したことから「埋田(ウメダ)」と呼ばれるようになったといいます。
超高層ビルが立ち並ぶ梅田の街が、かつては荒れた田んぼ地帯であったことには驚きです。
それよりも、埋田!なんだか字面がよくないですよね。
「埋田」ではさすがにイメージが…
江戸時代の人たちもそれは感じていたようです。
それではと「露天神社(つゆのてんじんしゃ)」や「綱敷天神社(つなしきてんじんしゃ)」にゆかりのある木「梅」の字をあてて、「梅田」へと美称されてゆきました。
「埋田」よりも「梅田」の方が、華やかさがあってイメージがいいですもんね。
ちなみにどちらも現存する神社ですよ。
梅田に観光の際はぜひ参拝をおすすめします。
「梅田」への改称、そして現在へ
埋田から梅田に美称されたものの、当初はまだまだ「梅」というイメージからはかけ離れた田畑や墓地ばかりの土地だったようです。
明治期以降の鉄道の誕生や、大阪の中心地が中之島から梅田に移転することをきっかけとして、梅田は急速な発展をとげていくのです。
そして私たちも知る現在。
たくさんの人や文化・情報・新しい「モノ」が集まる大阪の玄関口「梅田」は、現在進行形で変わり続けています。